平時忠「平家にあらざれば」と平資盛「殿下乗合事件」の真相は

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源頼朝が伊東祐親の娘の八重姫と関係をもったために、祐親から命を狙われる状態にまで陥ることになります。

何とか伊豆山神社に逃げ込んだり、北条家との関係を築いて修復にもっていったりしているときに、世の中、京はどのような状態だったのでしょう。平家の全盛期を示す典型的な事件を取り上げてみました。

平家にあらざれば人にあらずの真相

その頃の京ではタイトルの通り平家の絶頂期でありました。平清盛は表向き太政大臣を辞任して表舞台から引退した形をとっていましたが、権勢は並ぶものがないほどでした。

1168年には厳島神社の海上社殿も完成しています。1169年に後白河上皇が法皇になる際に平清盛も一緒に受戒するなど、平清盛と後白河法皇との協調路線の真っただ中でした。

また、清盛の娘の徳子が高倉天皇に入内しております。全国で500以上の荘園も保有しており、財政的にも盤石なものであったことでしょう。

この有名な言葉を残した人は平時忠です

この状況を著した言葉として有名なのは「平家にあらざれば人にあらず」がありますが、これは平清盛が言ったと思っている人がいるようですが、実は違います。

これは平時忠が言った言葉です。平時忠は桓武平氏と言っても平清盛の系統である伊勢平氏ではなく堂上平氏というほとんど公家として過ごしている系統の人です。

平清盛との関係は平時忠の姉の時子が清盛の妻となっていることです。簡単に言えば義理の弟というところです。この時子の子供として徳子が生まれて、高倉天皇に嫁いでいるのです。

また、平時忠の妹に滋子が後白河法皇に嫁ぎ、高倉天皇を産んでいるのです。このように皇室とは密接な関係がある家柄なのです。

平時忠は公家ですが、様々なトラブルを起こして何度か配流されていますが、最後は配流先で亡くなりました。

誤解されているこの言葉の本当の意味は

この言葉は、現代語で読んだり、聞いたりするとなんと驕った発言かと思う人が大多数ですが、実はその当時の意味をとらえるとそれほど過激な発言ではないのです。

特に「人にあらず」という言葉の語感が強すぎて、人間以下の存在と我々は捕らえてしまいますが、これは宮中でのことなのです。

つまり、人としてというよりは政府高官として信用できる人間ではないので、そのような人を登用するのはやめよう。と言っているのです。そうなると、当たり前のことですね。ということになるのです。

平資盛(すけもり)の殿下乗合事件の真相

平資盛(すけもり)は平清盛の嫡男の重盛の次男になります。この人が若い時に起こした事件を紹介します。

この事件のいきさつは

1170年ですから資盛がまだ9歳の時の話です。7月3日摂政・松殿基房の牛車と行き違った際に、牛車から降りずに、下馬の礼を取らなかったため、基房の家来と乱闘騒ぎになってしまいます。

何しろまだ9歳の子供ですから聞き分けがなかったのでしょうね。そして基房の家来にやっつけられてしまったのでしょう。本来なら、これは資盛が圧倒的に悪いので仕方がないのですが、それでもこんな復讐劇が起こってしまうのです。

基房はその相手が平資盛であることがわかると、使者を父親の重盛のところに派遣をして謝罪をするのですが、怒った重盛はその使者を追い返してしまします。

困った基房は騒動を起こした従者を勘当して誠意を見せようとしますが通用しなかったようです。それにしても摂政ともあろう人が何とも情けない狼狽ぶりですよね。

重盛が報復の準備に兵を集めていると聞いて、基房は恐怖のあまり外出しなくなります。何とかそれで時間を稼いでいたのですが。

10月21日高倉天皇の加冠の儀が開催されます。さすがにこれには出ないわけにはいかないので参内しますが。ついに重盛の兵士に襲われてしまいます。

牛車を守る従者5名が襲われて髻を斬られてしまい、このため宮中に参内できず、加冠の儀は延期になってしまいました。

この事件は一般の認識と少し違うのです

後世の物語によれば、事件を起こしたのは資盛でこれは若気の至りで仕方がないのですが、大抵は復讐劇はお祖父さんの平清盛となっているのです。

清盛は何しろ権勢並ぶべくもありませんし、キャラクターとして横暴そのものということになっていますから、このような仕打ちは清盛にふさわしいとしているのでしょう。

しかし、実行部隊を指示したのは重盛なのです。重盛は平家物語なのでも大変な人格者で、父の清盛の非道なふるまいを諫める役柄に描かれています。実際は重盛もかなり横暴な人だったということです。

実はむしろこの被害者である松殿基房に同情を寄せたのはなんと平清盛でした。かれは、その後の基房のために、12月には太政大臣の位に着くように尽力したとされています。この事件の収束を考えての人事だったと思います。

平時忠「平家にあらざれば」と平資盛「殿下乗合事件」の真相のまとめ

驕れる平家久しからずといわれているように、この頃の平家の事件を2件取り上げてみました。

事件そのものは確かに平家の驕りを示すものかもしれませんが、最初の話題は少し意味合いが違いますし、後の話題では我々が想像する平清盛、平重盛像がいささか歪んでいることがわかります。

さすがに平清盛は苦労して地位をつかみ取っただけに、それなりに、政治的な動きを欠かさない存在であることがわかりますね。

そんなことから考えると、東の方で源頼朝が伊東祐親ともめ事をおこしているときでも、まだまだ平家の地盤は盤石だったのではないでしょうか。

北条時政が大番役で京に出て平家の没落を予感したといわれていますが、いかに時政が先を見抜く力があったとしても、まだ早かったのではないでしょうか。

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