鎌倉殿の13人第18回は「壇ノ浦で舞った男」という副題がついていますが、屋島の戦いから壇ノ浦の戦いまで一気に進んでしまうようです。
その中の有名なシーンを紹介します。実際には数か月の期間の出来事ですが、後世にも伝わり見どころが多い場面なのでもったいない気がします。どれぐらい紹介されるかどうかわかりませんが。
屋島の戦いの見どころ
屋島の戦いは寿永4年(1185年)2月19日に讃岐国屋島で起こった戦いです。屋島にはこの頃安徳天皇の御所が設置されており平家の根拠地となっていました。この戦いによって平家は瀬戸内海における制海権を失ってしまうことになるのです。
源義経の出陣
源範頼の鎮西侵攻が難航していたがようやく1月に豊後国に渡ることができ背後から平家を脅かすようになります。その頃、西国の戦線の膠着を危惧した義経は西国へ出陣しようとします。
朝廷は義経が京を離れることに難色を示しますが、2月に摂津国に兵を集めます。しかし出航の2月18日は暴風雨となり、将兵は出航をためらい、水夫も出航を拒みます。
しかし義経はこれらを脅して、僅か5艘で暴風雨をついて出航します。通常3日の行程を数時間で着いたと言われています。この荒波をついて出航するところは絵になると思うのですが。出航に反対だった梶原景時をして「天が味方した。」と言わしめる快挙だったのです。
那須与一の扇の的
屋島の戦いの中で最大の見どころでしょう。源義経の奇襲によって屋島を追い払われた平家は船で沖合に出ます。そしてその船の中から一艘が岸に寄せてきて扇を柱にかけて女官が手招きをします。
義経からあれを射ることができる者として那須与一が選ばれます。波に揺れる小舟の上の扇を射るのです、しかも、距離70m位はあったでしょう。与一は南無八幡大菩薩と祈願をして無事射貫くことに成功します。
この快挙に船の上で舞っていた男を再び与一は命によって射殺すのです。戦場の無常さを伝える場面です。扇の的は平家物語でも特別の美文ですので是非原文で味わってみてください。
あっという間の源平合戦みたいな印象。平家物語は、あくまでも、ファンフィクション。史実のエピソードと、
フィクションの上手い具合が、琵琶法師という、無名の語り手に語られたから、「あくまでもフィクションです」に
納得。那須与一の屋島の戦いしかり、
カットなのかも。まぁね。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/5IKnWYMr8B— サービィ (@sappiy0615) May 1, 2022
源義経の弓流し
その後、平家との戦いが続きますが、その際、義経は自分の弓を落としてしまいます。これを義経は平家の猛攻が続く中、危険を冒して弓を拾いに行くのです。
わざわざ大将が弓ごときでそんな危険を冒すのかと言われたところ、義経はこんな弱い弓を拾われたら、源氏の大将がこんな弱い弓を使っていたのかと末代までも恥になるので、あえて拾いに行ったのだと説明したとのことです。
壇ノ浦の戦いの見どころ
寿永4年(1185年)3月24日に長門国赤間関で行われた、源平最後の戦いです。屋島の戦いから僅か2か月後ですが、これによって平家は滅亡してしまいます。
イルカ占い
壇ノ浦の戦いの最中に多くのイルカが現れます。数にして一千頭又は二千頭と言われています。平家の棟梁である平宗盛が陰陽師の安倍晴信に占わせます。
その時に解説は、イルカは刀の象徴であるため、この大群が向かう方向の船は敗れることになるだろうと。しかしながら大群は平家の方に向かってきたと言われています。
源義経の掟破り
海戦の最初の頃は潮の流れに乗った平家が優勢で義経の軍は押し返されてしまいます。しかし、その中でも義経は平然としていたと言われています。
そして、義経が命じたことは、船の水夫を射よというものです。当時、非戦闘員であった水夫を殺すことはタブーとされていたようで、部下は躊躇しますが、義経自ら水夫を射て、部下も続いたと言われています。
これによって平家の軍船は混乱しやがて負けていくことになるのです。義経の発想の自由さを示す逸話ですが、どうも史実とは違うようです。
1185年5月2日
壇ノ浦の戦いこの日、四国の屋島から撤退した平家は壇ノ浦(現・山口県下関市)で源義経率いる源氏の軍勢を迎撃した。激しい水上戦は源氏の勝利に決し、平家に擁せられた安徳天皇は宝剣と共に入水。一門もそれに続いた。平家の滅亡により治承の内乱(いわゆる源平合戦)は終結した。 pic.twitter.com/dUri81XCJn
— 今日は何の日 (@kyouhanannda) May 1, 2022
源義経の八艘飛びと平教経
平教経は平清盛の甥になる武将ですが、この戦いの中でも強く、獅子奮迅の戦いを演じます。しかし勝敗はすでに決する状況になっており、伯父の平知盛からすでに勝敗は決したのだから、無益な殺傷を続けるなと言われます。
それでは、名のある武将を道連れにと源義経に迫りますが、義経はひらりと他の船に飛び移り、たちまち八艘先まで飛んでいってしまいました。
平教経は自分に組みかかってきた三十人力といわれる土佐国の安芸太郎と次郎を脇に抱えて道ずれにして入水しました。
二位の尼と安徳天皇の入水
二位の尼は平時子といい平清盛の後妻です。安徳天皇の祖父になるわけです。いよいよ平家の敗北が確定した時、二位の尼は神璽と宝剣(天叢雲剣、別名草薙剣)を身に着けて安徳天皇を抱き上げます。
天皇は「何処に連れて行くのですか。」と聞きますと、尼は「極楽浄土にお連れします。波も下にも都がございます。」と答えて入水しました。平家物語最大の泣かせる場面です。これによって宝剣は失われたと言われています。
屋島の戦いと壇ノ浦の戦いの見どころのまとめ
屋島の戦いと壇ノ浦の戦いの見どころを7点取り上げてみました。ドラマの中ではどこまで放映されるか定かではありませんが、それぞれの背景を示すと膨大な内容になりますので、そのさわりだけを紹介しております。
平家物語にはこのようなエピソードが随所に散らばっていますので、気に入ったとこを読まれることをお勧めします。
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