鎌倉殿の13人の第26回は「悲しむ前に」ではいよいよ源頼朝が亡くなることになり、嫡男の頼家が鎌倉殿を継承するまでの混乱が描かれます。
主人公義時の嫡男金剛こと泰時も既に出演していますが、義時の弟である時連後の時房もだんだん頭角をあらわしてきます。また、「りく」こと牧の方の息子政範もいます。本記事ではこれらの人を紹介していきます。
鎌倉殿の13人・北条義時の弟時連こと時房
北条時房は安元元年(1175年)に北条時政の三男として生まれます。母親は不明です。兄の北条義時が長寛元年(1163年)の生まれですから、古い言葉で一回り、12歳の開きがあります。
また、後に義時の跡を継ぐ、泰時は寿永2年(1183年)の生まれですから、8歳年下となります。
三浦義澄の弟である三浦義連が烏帽子親となったことから、時連(ときつら)と名乗っていましたが、ここでは時房で統一しておきます。
奥州合戦にもぎりぎり間に合ったぐらいの年周りですから、実際の戦闘にはほとんど参加しなかったでしょう。
北条家の嫡男の系統ですから重視されていたことと、蹴鞠に堪能だったことからも、源頼家の側近として若いころから仕えています。
ちなみに頼家は寿永元年(1182年)の生まれですから、時房は7歳年上の立場になります。この頼家の側近となったことですが、どうやら兄の義時から頼家の動静を探るために送り込まれたとされています。
こんな事情もあったのでしょう、頼家の追放になる比企の乱の際にも連座することなく、北条一門として復帰しています。
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【第21回】5月29日(日)
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北条頼房の主な足跡
元久2年(1205年)畠山重忠の乱では兄の義時とともに討伐に参加しています。また、同年、牧氏事件の後、遠江守、さらに駿河守に任じられています。承元4年(1210年)武蔵守に任じられています。
このようにとんとん拍子で出世していきます。
建保7年(1219年)源実朝の暗殺後は京に出向いて、摂家将軍となる藤原頼経を連れて鎌倉に帰還しています。
承久3年(1221年)の承久の乱では、泰時とともに進軍して、京に留まり初代六波羅探題南方になります。
元仁元年(1224年)北条義時の死去に伴い、執権北条泰時の要請で初代の連署という立場に着くことになります。これによって北条泰時を支えて鎌倉幕府のナンバー2として支えていくのです。
北条頼房のひととなり
容姿、所作も優れていたようです。しかも蹴鞠、和歌もできたようで、京での朝廷への対応では十分生かされたことでしょう。
嫡流の泰時との関係もおおむね良好で、宗家を立てていたことでしょう。時には対立もありましたが、北条家の良いところは最終的には北条家の立場を守ることに意識を持っていたことと考えられます。
源氏の系統が、絶えず対立を繰り返し、しかもその対立が粛清に繋がり、最終的には血統が途絶えてしまうまで、内部抗争を繰り返したのとは相当の開きがあると考えられます。
鎌倉殿の13人・北条義時の弟北条政範
北条義時の末の弟は北条時政と「りく」こと牧の方の間に文治5年(1189年)に生まれた息子です。すぐ上の時房とは14歳の開きがあることになります。
しかしながら、牧の方が貴族の出身ということもあり、若年にもかかわらず官位は義時よりも高いわけですから、北条の事実上の嫡男扱いとなっていたはずです。
しかしながら、元久元年(1204年)僅か16歳で急死することになります。
病にかかって亡くなったので仕方がないのですが、結果として長生きしていたら、北条一族の内乱の原因にもなったことと思われます。
実際、牧の方はその後、牧氏事件が起こる中心人物となっていくのですから。しかしそこまで政範が生きていたら、相当歴史は変わったことでしょう。
#鎌倉殿の13人 りくの産んだ男子が「嫡男扱い」されるのは、正妻でありかつ貴族の娘と言うことで家格が高いから。現にこの辺りまで、鎌倉時代の年代近い資料では「北条小四郎義時」とは記さず「江間小四郎義時」と #北条義時 は庶子のような扱いになっている。#牧氏事件 #北条政範 #畠山重忠の乱 pic.twitter.com/WQzNuPJHm1
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鎌倉殿の13人・北条義時の弟の時房と政範のまとめ
北条時政の息子で戦死した宗時を除き、事実上の跡取りである義時とその弟である時房と政範について解説してきました。彼らの行動、考え方によっては義時の今後の展開が大きく変わってくることになります。
幸い、時房はそういう意味では、すべてをわきまえて、今後の鎌倉幕府の中で重きをなしていくことになるのです。問題だったのは政範の方でしょう。末の弟であるのに官位が高いのですから、今後の火種になるはずです。
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