源頼朝が伊東祐親ともめ事が起こっている頃、京では平清盛の全盛期でした。
この頃、祇王・祇女という白拍子が清盛の恩寵に預かっておりました。しかし、この事も清盛の心変わりにより長続きはしなかったのです。
平氏政権下での悲劇として知られている妓王・妓女・仏御前のお話を紹介します。
妓王・妓女とは何者なのでしょうか
この当時、妓王・妓女は白拍子として京で名声を高めておりました。
白拍子とは、白い直垂や水干に立烏帽子を付けて、白鞘の刀を差した、いわゆる男装の麗人で、今様などの歌や舞を披露するものです。今でいけば流行歌手のようなものですよね。
ちょっと脱線しますが、この当時の白拍子は貴族などの館にも出入りし、それなりの教養を身に着ける必要がありました。このため、貴族の愛妾となっている例が多いのです。例えば源義経の愛妾として有名な静御前はこの白拍子の出身でした。
妓王と妹の妓女は近江国の出身です。母の刀自(とじ)も同じく白拍子でした。京でたちまち有名となり、名声を聞いた平清盛に囲い込まれることになります。
このため、生活にも困ることもなく、故郷の近江が飢饉になった際も、妓王が清盛に頼み込んで用水露を建設してもらうなどの幸せな日々が続いていたそうです。
仏御前が京に登場します
仏御前は加賀国の出身です。1160年の生まれと言われています。1174年、14歳で京に出てきて評判になります。
しかしながら、当時の権力者に認めてもらおうと平清盛の屋敷に押しかけます。清盛は当時妓王を寵愛しておりましたから、こちらが招いてもいない白拍子など会う必要がないと追い返します。
そこで出てきたのが妓王なのです。彼女は自分が白拍子の身から起こしたため、せっかくのチャンスを得たいがために訪ねてきた仏御前が追い返されるのを気の毒に思い、せめて清盛のお目通りを得られるよう、清盛を説得しようとします。
清盛は、妓王がそこまで言うならと、門を出た仏御前を招き入れることとします。
清盛は気が進まないが、とりあえず仏御前の今様を聞くことにしますが、一旦聞いた途端仏御前の魅力に取り込まれてしまいます。更には舞も舞わせた後、仏御前を八条邸に住まわせようとします。
仏御前の魅力に取り込まれた平清盛は
清盛は仏御前を自宅に住まわせようとしますが、仏御前としては、京での自分のステータスを築きたかっただけですので、しかも、それではせっかくチャンスを与えてくれた妓王にも申し訳が立たないことになります。そんなわけで、申し出を断ろうとします。
そこでびっくりするのが清盛の対応です
仏御前が妓王のことを気遣ってぐずぐずしていると、それなら妓王に即刻立ち去るよう命令してしまうのです。妓王は3年間住み続けた邸宅を後にすることになるのです。このため、家に帰った妓王たちには清盛からの仕送りも途絶えてしまいます。
権力者清盛からの呼び出しの真意は
そうしている間に、季節は半年ほどたって、清盛から使いが来ることになります。何と、仏御前が寂しそうにしているから、妓王に仏御前を慰めに来いというものです。
妓王はあまりの情けなさに自害してしまおうとします。妹の妓女もそれなら私もと言いますが、母の刀自(とじ)はこれでは生活ができないので何とか清盛の言うことを聞くようにと娘の妓王に頼みます。
妓王は仕方なく八条邸に赴きますが、案内された席は、以前とは比べ物にならないほどの下座での扱いでした。それでも母のためと何とか勤めを果たして帰ります。
清盛からはこのように仏御前を慰めに来て良いと言われますが、なんという境遇の変化に耐えられなかったのでしょう。いくつかある貴族からの誘いをも断り、髪を下ろしてしまいます。
妹の妓女、母のとじも同様に髪を下ろし、嵯峨野の祇王寺に念仏をして暮らすことになります。
祇王寺で出家する妓王・妓女のもとに
そうして、何年かたったのち、夜中に尋ねてくる人がありました。彼らはいぶかしがって、魔物でも現われたかと心配しましたが、現れたのは仏御前でした。
仏御前はこの間の様々な動きを見て、世の無常を感じ、八条邸から逃げ出すこととしたのです。しかも彼女も髪を下ろしてしまっていたのです。
こうして、4人はその後信心深く静かに暮らすことになり、ともに成仏したといわれています。
一説によれば、妓王寺には仏御前の墓がないそうです。これは、仏御前が仏門に入ったときに清盛の子を宿していて、尼寺での出産を憚ったため、故郷の加賀に戻ったと言われています。
そして、途中で出産しますが、子供は死産となります。1180年には故郷で亡くなります。墓所は小松市原町にあるそうです。
源頼朝が伊豆にいる頃の京の祇王・祇女・仏御前の顛末のまとめ
平家物語には本流の話とは違って、幾つかのエピソードが仕掛けられています。その中でも有名な祇王・妓女・仏御前の話を取り上げてみました。このように、世の中の無常を強く意識した話が随所にちりばめられて、物語を美しく彩っているのです。
そして、世の中の移ろう無常をどのように感じるかということです。単に清盛の横暴の物語と説明してしまえばそれだけで終わってしまうのですが、やはり時の流れとともに移り変わる事象があると思います。そんなことを考えてみるのもよろしいかと思います。