平家物語第七話・解説・平重盛の息子、維盛、資盛、清経の都落ち

アニメ平家物語

アニメ平家物語第7話では平清盛の息子である平重盛邸にいましたが、平重盛が亡くなり、びわは資盛の言もあり、屋敷を出ていくことになります。その後、母を探しに旅に出ます。残った維盛、資盛、清経はどの後どの様な運命をたどることになるのでしょうか。

平清盛の最期

きっかけは1181年(治承5年)閏2月に平家一門の棟梁平清盛が亡くなったことによるものです。

前年の以仁王、頼朝、武田信義、木曽義仲の挙兵、富士川の戦い、福原遷都及び環都、南都焼討などが続いて、騒然となった頃です。その後も伊予国、豊後国で反乱がおこっています。

清盛は重盛亡き後の新体制を、重盛の弟の宗盛に託すことになります。そして、熱病を発症したときには最期を悟り「頼朝の首を我が墓前に捧げよ」と言い残して世を去るのです。

清盛、重盛が亡くなって平家の中心体制にほころびが来ることになるのです。

平重盛の息子のその後

清盛が亡くなったため、権力は再び後白河法皇に戻り、院政を中心とした体制となるのですが、平宗盛は軍事に関しては清盛の言葉に従って平家が維持する姿勢を見せます。

そんな中で重盛の息子維盛、資盛、清経は各地で蜂起した源氏の反乱に対応を迫られるのです。

平維盛のその後

清盛が亡くなった1ヵ月後の3月に叔父の重衡とともに墨俣川の戦いに参加します。尾張国に進出した源行家、あの以仁王の令旨を全国に配った頼朝の叔父、と行家に加わっていた源義円、源義経の同母兄で乙若、と墨俣川をはさんで対峙することになります。

源氏の奇襲が失敗して、源氏は大敗することになります。このため、源氏は尾張国を捨てて三河まで撤退することになります。また、義円はこの戦いで亡くなります。もっとも頼朝は認識していたかどうかはわかりませんが。

維盛は前年に富士川の戦いで大敗を喫しましたが、何とか名誉回復を図ったことになります。維盛は、この年、右中将、蔵人頭となり、従三位に昇進します。

この時がひと段落した頃でしょう。維盛23歳の頃です。

翌年1183年(寿永2年)木曽義仲を討伐するため総勢10万の大軍で北陸を目指します。維盛はその総大将となっています。しかし、5月に倶利伽羅峠の戦いで大敗し、ほとんどの勢力を失ってしまいます。これが、7月の平家都落ちに繫がることになるのです。

平家物語にも平維盛の意志の弱さが多く書かれています。平家の御曹司として武士というよりは貴族として育ってきていることから、このような激動の時代には生き抜けないのでしょう。

容貌も美しく光源氏の再来と言われ、舞の名手として知られていました。源氏物語そのもののように青海波を舞った記録も残されています。

平資盛のその後

平資盛は平重盛の二男ですが、兄の維盛に比べてやや外交的な性格で、後白河法皇の近臣を勤めるようになります。平清盛の死後も後白河法皇の下で重用されていました。

このため、左近衛権中将、正四位下に昇進していますし、院の近臣藤原基経の娘とも結婚しています。従って、資盛にとってもこの1182年の頃が絶頂期だったことでしょう。

しかしながら、平家の追討軍が1183年(寿永2年)5月の倶利伽羅峠の戦いで大敗してからは、いよいよ京の防衛戦になります。資盛も宇治方面の防衛についていましたが、棟梁の宗盛の方針により京を離れることになります。

資盛は後白河法皇の近臣であることから法皇に庇護を求めたが、受け入れられず都落ちすることになります。

資盛もやはり、武士というよりは文化的素養が高く、和歌の名手として知られていました。新勅撰和歌集等にも名を残しています。

また、建礼門院右京大夫との関係が有名で書簡が残っています。

平清経のその後

三男清経は清盛が亡くなった時はまだ19歳でした。まだ若かったせいか都落ち前には特段の活躍をしておりませんが、やはり、武門というよりは笛の名手として知られています。

この人も真面目というのか、物事を正面からとらえる性格ですので、これがその後の悲劇につながることになるのです。この物語は能の清経としても残されています。

平重盛の維盛、資盛、清経の都落ちのまとめ

平重盛の息子たち、維盛、資盛、清経の平清盛の死から京落ちまでの様子を調べてみました。やはり平家の貴族化の影響なのでしょう、嫡流の清盛の孫の世代になって部門としての功績がほとんど見られないことに特徴があります。

どのような育ち方をしていたかわかりませんが、平安朝の貴族と変わりない様子であったようです。平家の中でまともに戦っているのは重盛の兄弟だけですから。

更に悪いことには、平家の嫡流が重盛から宗盛に移り、重盛の系統が平家一門の中からも阻害され始めていることです。平家の都落ち前後では、彼らが平家から分離するのではないかとも噂されていたようです。

そんなことですから、繊細な神経の持ち主である、維盛、清経は耐えられなかったのかもしれません。それが後に独自の道を歩んでしまうことにつながったかもしれません。

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