平家物語の冒頭に出てくる有名な部分がありますね。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」あまりにも有名なのでそらんじている人もいるでしょう。でも、祇園精舎って何処のこと?沙羅双樹ってどんな木?と聞かれて答えられる人は少ないでしょう。この記事ではそのことを解説いたします。
平家物語の名文に隠された謎:祇園精舎とは何か?
祇園精舎は祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)と言います。これは古代インド語である梵語の音訳になる言葉ですから、漢字に意味があるわけではありません。
祇樹給孤独園にある出家した人が修行をする施設である精舎のことを指しているのです。場所はインドのコーサラ国、ウッタル・ブラデーシュ州シュラーヴァスティー県にあります。
祇園精舎の秘密と由来:インドの聖地としての歴史
祇園精舎には二つの著名な場所があります。一つは、釈迦が説法を行ったとされている香堂(ガンダクティ)や仏舎利を治めている卒塔婆(ストゥーパ)です。もう一つは、菩提樹で「阿難菩提樹」です。
インドのコーサラ国にスダッタという富豪がいて、身寄りのない人に食事を提供していたりしたため人々から「給孤独者」とか「給孤独長者」と呼ばれていました。
スダッタが釈迦の説法を聞いて感動して、そのために寺院(精舎)を提供しようと思いついたのです。
土地を探したところ見つかったのはジェータ太子が持っている土地だったのです。ジェータは漢訳では「祇陀」といいます。
そしてスダッタがジェーダに土地を求めたところ、戯れにジェーダが「土地を金貨で敷き詰めたら譲ってやる。」と言ったため、スダッタは本気で金貨を敷き詰め始めたそうです。
驚いたジェーダはそのまま土地を寄贈したと言われています。
ジェーダの名前の「祇」に「樹」をつけて、スダッタの「給孤独」に「園」をつけて土地の名前を「祇樹給孤独園」と名付けたそうです。略して「祇園」となりました。
祇園精舎の鐘の声:日本の想像と実際の違い
実は本来、祇園精舎には鐘がなかったようです。したがって、祇園精舎の鐘の声は仏様の有名な地ですから鐘があるに違いないと日本人が考えた想像上の産物と考えられます。1000年も前のことですから、インドにも立派な伽藍と鐘があるに違いないと考えたのでしょう。1981年「日本国祇園精舎の鐘の会」が梵鐘と鐘楼を寄贈しました。
沙羅双樹:命の儚さを象徴する平家物語の花
沙羅双樹(さらそうじゅ)はフタバガキ科サラノキ属の常緑高木です。春に白い花を咲かせ、ジャスミンのような香りを放つそうです。
日本では寒すぎて育たないので、代用としてナツツバキが植えられているそうです。ナツツバキは朝には花を咲かせますが、一日で散ってしまいます。
このことから、命のはかなさを示しているのです。そういうことですから、平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹も日本で植えられているナツツバキのイメージが大きく影響しているのではないでしょうか。
朝咲いたら夕方には散ってしまう ー世の儚さをあらわし
平家物語の冒頭に登場する
沙羅双樹(沙羅の🌳)の花
ーを ナツツバキという
TSUBAKIさん😍 pic.twitter.com/oAh1MpYsfr— TSUBAKI【ウルトラポーズで体がよみがえる】 (@TSUBAKI90835866) June 27, 2022
釈迦の涅槃と沙羅双樹:平家物語の象徴的な意味
釈迦はクシナガラで二本並んだ沙羅の木の下で入滅されたと言われています。
釈迦が亡くなったとき花を咲かせ、たちまち枯れてしまい、白色になってしまったと言われています。このことが、生命の流転を示しており、盛者もこのように滅びることを示す象徴となっていたようです。
平家物語の謎に迫る:祇園精舎と沙羅双樹の真実のまとめ
とても有名な文章ですがその中身までは詳しく解説されていない、祇園精舎と沙羅双樹について解説しました。
特に祇園精舎は「祇園」自体にサンスクリットから漢訳したために、漢字の意味はほとんどないことがわかります。また、祇園精舎の鐘の声は日本人にはぴったりの感覚ですが、本場に行けばびっくりしてしまうのではないでしょうか。
沙羅双樹も日本にはなく。その代用品が命のはかなさを示していることなど、調べていて大変興味がわきました。今後とも気がついた点を調べてみたいと思います。
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