平家物語・第九話ネタバレ・平家が大宰府を拠点にできなかった理由

アニメ平家物語

平家は都落ちの後どのような動きをしていたのでしょうか。平家は都落ちの後、一旦は福原に到着しますが、そこから大宰府を目指して航海します。

大宰府は中国、朝鮮への窓口で発展しており、更に九州の豪族を味方につけて再起を図るつもりだったのでしょう。果たしてこの目論見はどのようになったのでしょう。

平家の都落ちから大宰府到着まで

平家一門は1183年(寿永2年)7月25日に京を離れ、かって清盛が造営した福原に立ち寄ります。そして福原を焼き払って海路大宰府を目指します。

ところでなぜ大宰府なのでしょうか。

もちろん大宰府は中国、朝鮮の窓口として発展していました。しかも清盛の頃から日宋貿易で平家は相当潤っていたのです。そのための部下も配置してありましたので、ある程度はあてがあったのです。

九州についてからの平家の道筋

平重盛の家臣であった緒方惟義平清盛の家臣であった原田種直、山鹿秀遠などの豪族がいました。しかし、平家の凋落を目の当たりにして、彼らはどのような立場をとったのでしょうか。

平家一門はまずは原田種直の世話に

原田種直は大宰府の大弐として平氏の臣下であり日宋貿易の代行者になっていました。特に種直は平家盛の娘を平重盛の養女として妻に迎えております。平家とはとっても深い関係の人なのです。

8月26日に平家が大宰府に到着したときには、種直は平家を迎え入れ、私邸を安徳天皇の住まいにしたと言われています。

原田種直は壇ノ浦の戦いで平家が滅んだあと、平家側であったため、領地を没収され一時は幽閉されますが、1190年に赦免され、鎌倉幕府の御家人として筑前国の地頭に任ぜられます。

豊後の緒方三郎惟栄(これよし)は平家排斥に

緒方惟栄は豊後国の豪族ですが、平家の平重盛と主従関係を結んでいました。しかしながら、1181年の頼朝挙兵後、反平家の中心人物となり豊後国の目代を追放したりして、九州地方の反平家勢力の中心人物となっていきます。

一時は九州の源氏勢力の中心人物となりますが、後に、頼朝と敵対した義経に加担したため、捕らえられて上野国沼田に流罪となります。

平家は山鹿秀遠の庇護を受けるが

平家は一旦、原田種臣のもとで落ち着き、九州一円の豪族に対して参加を集います。しかし、反平家の緒方惟栄の圧力を受けて、だんだん撤退を余儀なくさせられます。

特に平家は緒方惟栄の参画に期待し、重盛の縁を頼って次男の資盛を派遣しますが、追い払われてしまいます。かっての家人からも見放されるようでは、平家としても落ち目ですよね。

平家は山鹿秀遠の遠賀川河口にある山鹿城に立てこもりますが、そこも維持できなくなり、豊前柳ヶ浦に移ります。かくして、2ヵ月に及ぶ平家の九州での勢力拡大は失敗し、10月には屋島に向けて移動することになるのです。

平家にとっての不幸の始まり・平清経、平維盛の入水

平家もかっての家人からも見放されるなど、前途は厳しいものがありました。しかし、まだ讃岐国、阿波国にはまだ勢力があったのです。そのため屋島に落ち着くことになるのですが、その前後に不幸な事件が起きています。

平清経の入水

この一連の動きの中で平家の将来を象徴するような事件が発生します。平清経は平重盛の三男として1163年に生まれます。後の一の谷の戦いで落命する平敦盛と同様に笛の名手として知られていました。

この一連の逃避行で将来の行く末に絶望したのでしょう、豊前国柳ヶ浦で入水自殺してしまいます。言い伝えでは、笛を吹いた後に入水したと言われています。21歳だったと言われています。

場所は駅間川沖合と言われていて、現在も五輪塔及び慰霊碑が建てられています。

建礼門院徳子はこの事が「心憂きことのはじめ」として述べています。

清経の入水自殺は能の題目にもなっております。

平維盛の入水

平家一門が屋島についてからも、同じような事件が発生するのです。平清経の兄の維盛が屋島を抜け出して、熊野迄向かい。熊野三山を参詣して後に那智沖で同じく入水自殺してしまうのです。

維盛は1159年の生まれですから、24歳ぐらいだったのでしょう。若い時から美貌の持ち主で、宮中で青海波を舞った時は光源氏そのもとと言われていました。

そんな美貌でしたから、大将として出陣するときも、ほれぼれするような出でたちだった言われています。

墨俣川の戦いでは勝利したものの、富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦いでは大敗して、武将としての面目は立たなかったのですが、高々20代の前半ですから、彼の責任ではないような気がします。

それにしても、重盛の息子二人までがこのような不幸な結末を迎えるとなると、残念な気がします。

平家が大宰府を拠点にできなかった理由のまとめ

平家の都落ちから一の谷の戦いに至るまでの約半年間の平家の足跡をたどってみました。この様子を見ていると絶望的な気分になりますね。かっての家人からは見放され、九州を拠点に再起を図ることはできませんでした。

しかしながら、後世の考察でいえば、南九州ならまだチャンスはあったと言われています。こんなことがあったので、最後は壇ノ浦で終わりを迎えたのかと納得することができました。

しかし、源氏の方も木曽義仲と源頼朝の対立が起こったため、しばらく混乱するのです。特に清和源氏はいつ見ても内輪もめが続く不思議な集団ですね。その間に勢力を整えて、屋島を拠点に福原まで進出することになるのです。

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