鎌倉殿の13人第12回は「亀の前事件」がタイトルでしたが、ここで重要な人たちが登場することになります。それは鎌倉幕府を行政面で支えた文官たちです。
頼朝の側近の中原親能、行政のトップとなる大江広元、実務官僚としての二階堂行政です。この人たちがどのような経緯で鎌倉幕府に参画していったかを解説します。
源頼朝の側近として外交を預かる中原親能
中原親能(ちかよし)は康治2年(1143年)の生まれと言われています。久安3年(1147年)生まれの源頼朝の4歳年上になります。
父は儒学を扱う学者の中原広季とも参議藤原光能とも言われています。いずれにしろ中原家で育つことになるのです。
源頼朝が伊豆に流された頃に、親能も相模国で育ったようで、その頃に親密になったと言われています。頼朝とは「年来の知音」と言われています。周囲に知人がいなかった頼朝としては貴重な存在となるのです。
その後、京に戻り権中納言源雅頼に仕えていましたが、治承4年(1180年)の頼朝の挙兵により状況が一変することになります。
頼朝ゆかりの者を捜査するため、親能のもとにも捜査の手が伸びてくることになるのです。そのため、親能は出奔し鎌倉に行ったと言われています。ドラマでは寿永元年(1182年)に頼朝のもとに参画したとされていますが、はっきりとはしていません。
寿永2年(1183年)には源義経の上京に同行をしていますが、ここからは頼朝の代官として京の公家方面との連絡、交渉役に力を発揮したことでしょう。
元暦元年(1184年)公文所の寄人となりますが、この間に京と鎌倉を何度も行き来しております。京都の調整役として「京都守護」とも言われていました。
正治元年(1199年)源頼家が跡を継いだ時には鎌倉殿の13人の一人となっています。最終的には承元2年(1209年)京都で亡くなっております。
大江広元(毛利氏の祖先)、中原親能(大友氏の祖先)、藤原行政(二階堂氏の祖先)
親能が兄、広元が弟でこの頃はまだ中原広元を名乗っていたはず#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/NCWJywBdus— 令狐楚 (@amzgzm) March 27, 2022
鎌倉政権の行政のトップとなる大江広元
大江広元の出自も諸説ありますが、大江維光を実父として久安4年(1148年)に生まれます。中原広季を養父として育ったようで、中原姓をずっと名乗っていて、大江姓を称するのはずっと晩年になってからです。
源頼朝とはほぼ同年代になります。中原親能とは兄弟という関係になるわけです。
ドラマでは寿永元年ごろに鎌倉政権に参画したとされていますが、実際は兄の中原親能が京に上京した寿永2年又は元暦元年頃だろうと考えられます。大江広元は最終的に公文所改め政所の別当となりますが、鎌倉幕府の骨格作りに相当の貢献をしています。
特に、守護・地頭の設置は広元の策と言われています。この人も鎌倉殿の13人の一人となります。
また、後のことになりますが、承久3年(1221年)の承久の変と言われる朝廷との戦いに関しては、北条政子とともに朝廷に対する主戦論を提唱し、幕府方勝利の貢献者と言われています。
その後ずいぶん鎌倉幕府の中枢で活躍し、嘉禄元年(1225年)78歳で亡くなります。
実務官僚としての二階堂行政
二階堂行政(ゆきまさ)の父は工藤行遠、母は源頼朝の母の家系となる熱田大宮司藤原季範の妹です。生没年は不詳ですが、ほぼ頼朝と同世代でしょう。父は遠江の豪族だったようです。
若い頃は平氏政権での朝廷に仕えていたようです。平家の都落ちの頃に、母の縁を頼って源頼朝に仕えたようです。鎌倉政権では政所で大江広元に次ぐ地位にあって、実務官僚として政権を支えております。
特に建久元年(1190年)の源頼朝の上洛にあたっては、その一切を仕切っていたようで、実務官僚としての一端を見ることができます。
頼朝没後の頼家の代になって鎌倉政権を支える13人の一人として位置づけられています。しかしながら、源実朝将軍時代以降は記録には出てきておりませんので、病没した可能性が高いでしょう。
子孫は鎌倉政権においても検非違使を世襲していおり、世代交代したと考えたほうが自然です。
中原親能、大江広元など文官が揃うのまとめ
鎌倉政権の中にあってその政権運営の実務を執り行った中原親能、大江広元、二階堂行政などの実務官僚がどのように参画していったかを解説してきました。
ドラマとは違う展開となりますが、興味深いのはすべて頼朝の縁故による採用だということです。最初の中原親能は頼朝の古い友人ですし、大江広元はその弟です。二階堂行政は母親の縁者です。そんなところで頼朝も実務を固めたかったのかもしれません。
また、多くの頼朝の御家人のように、政権成立後の権力闘争に巻き込まれずに、それなりに天寿を全うできたのが興味深いと感じます。文官の世界でも権力闘争はあるものですが、それがないのが不思議でもあり、また、いささかホットさせられます。
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