平家物語・第十二話解説・平六代(高清)の悲劇

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平高清は別名六代と言われ、平維盛の嫡男として生まれます。生まれたのは承安3年(1173年)と言われており、平家の都落ちに際しては、母親とともに京に残ることになります。

本来は平家の嫡男ですから捕らえられた後は斬首されるのですが、生き残ることになります。その間の事情及びその後について解説します。

平六代(高清)の幼年時代は

平六代は平維盛の長男として承安3年(1173年)に生まれます。母は藤原成親の娘新大納言局と言われていました。成親は鹿ヶ谷の陰謀の首謀者の一人として備前国に流されて殺害されています。

そのような状況ですから、維盛の家系は平家の嫡流とはいえ、一門の中ではだんだん阻害されるようになるのです。

六代とは平正盛を初代と考え、六代目にあたるということで名付けられております。

寿永2年(1183年)の木曽義仲の攻勢により平家一門は都落ちすることになるのですが、この時父親の維盛は妻子を都から去らせるのは気の毒に感じて京に残すことになります。

妻子は京都に潜伏して暮らしておりましたが、文治元年(1185年)ついに源氏方が所在を突き止めることとなり、捕らえられてしまいます。本来でしたら、平家の嫡流ですから、一旦鎌倉に送られたのちに死罪というのが通例ですが、この方の場合少し違う動きとなるのです。

平六代(高清)の助命活動とその後

六代は捕らえられた時はまだ13歳でした。このため、母の新大納言局が懸命の助命活動を始めることになります。

文覚上人が平六代の助命に奔走

この任に当たったのが頼朝と近い関係にあった文覚上人なのです。文覚上人は頼朝と接触し、六代を預かり、神護寺に保護することで助命に成功します。

また、京にあって頼朝の信任の厚い参議吉田経房の妻に六代の母新大納言局がなったことも大きな影響があったことでしょう。

平六代は出家

文治5年(1189年)六代は剃髪して妙覚となります。そして鎌倉に出かけて源頼朝、大江広元などに面会し異心がないことを伝えます。

鎌倉側からも温かい対応が得られたので、これにて本件は終息と期待されていたのです。時に六代23歳のことです。その後は神護寺で静かに暮らしていたことと思われます。

平六代(高清)が処刑される理由は

結論から言えば正治元年(1199年)以降になるのですが、六代は捕らえられて処刑されることになるのです。この原因は六代を救ったすべての前提条件がこの時期に消失してしまったことが原因と考えられるのです。次の4点があります。

文覚上人が三左衛門事件に連座して流罪に

正治元年(1199年)に権大長合土御門通親の襲撃を企てたとして、一条能保、高能夫氏が捕らえられた事件の関係者として大事な庇護者文覚上人流罪になってしまいます。そして佐渡に流されてしまうのです。

源頼朝が亡くなります

源頼朝が建久9年(1198年)暮から体調を崩します。一説には落馬が原因とも言われていますが、翌建久10年(1199年)に亡くなってしまいます。これによって六代にお墨付きを与えた当人もいなくなるのです。

吉田経房も亡くなります

六代の母親である新大納言局の嫁ぎ先で、京にあって頼朝と良好な関係にあった権大納言吉田経房も正治元年(1199年)頃から体調を崩し、翌年には亡くなってしまいます。

このようなことから、六代の助命に関わった人たちがすべて亡くなったわけで、やはり平家の嫡流の存在を危惧する勢力によって処刑されたと考えるのが適切かと思います。

なぜなら、文覚が流罪になった事件そのものでも精々流刑されただけですので、何の関係もない六代が死罪になるのはこの際と云う考え方があったと思われます。

平家の遺児たちが脅威になることはあったのか

平家の公達の中でも壇ノ浦の後に生き延びた人がいます。

六代の叔父にあたる平宗実(むねざね)は重盛の七男です。平家の都落ちには加わらず、東大寺で出家した後、鎌倉に呼び出される途中で断食死したとも言われています。これは六代に近い例ですが、結果的には亡くなっているので参考とはならないでしょう。

しかし調べていくと次の事件が見つかりました。

平知忠(ともただ)は平知盛の三男ですが、都落ちに加わらず伊賀で育てられます。建久7年(1196年)にあらわれ源頼朝の妹婿の暗殺計画を進めますが発覚して討ち取られます。17歳だったですが、六代が処刑される3年前ですから、やはり、平家の遺児を残すわけにはいかないと考える向きもあったと思われます。

平高清(六代)の悲劇のまとめ

平六代は壇ノ浦のすぐ後に処刑されるところを助命され、その後10年以上生き残ったわけですが、やはり、何らかのきっかけで亡くなることになります。平家物語ではその辺のところが最後に述べられています。

しかし、調べるとわずかながら生き延びた人もいたのです。六代もこの中に加われなかったのが残念です。

平増盛(ぞうせい)平知盛の次男ですが、若くして出家させられたため平家の都落ちにも加わらず。鎌倉幕府からも罪に問われず、源義朝の菩提寺である勝長寿院に住むことになります。

忠快(ちゅうかい)平教盛の息子ですが安元2年(1176年)受戒します。壇ノ浦の戦いで捕らえられ伊豆に配流されます。しかし、源頼朝の帰依を受けて、父教盛の領地を返還され、権少僧都から権大僧都に進み幕府、朝廷からも信頼を受けるようになります。

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