鎌倉殿の13人・第21回ネタバレ・北条義時の妻は八重だけじゃない

鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人も源義経が滅ぼされてしまっていよいよ鎌倉幕府の内部抗争に入っていきます。

前半を飾った新垣結衣こと八重姫も北条義時の妻となり後の泰時こと金剛を産んで万事順調なのですが、歴史はこのまま順調に終わってはいません。

八重は歴史上は安房局のようなのですが、間もなく歴史から姿を消してしまうのです。そしてその後に登場する義時の妻とは。

義時の正妻姫の前とは

姫の前は比企氏の一族の比企朝宗の娘として生まれています。父親の比企朝宗は源頼朝の嫡男頼家の乳母父となっている鎌倉幕府の有力者比企能員の弟になります。

姫の前は鎌倉幕府の大倉御所に勤める身分でしたが、頼朝のお気に入りでもあり大変な美貌だったようです。このため、北条義時は何度も文を届けましたが全く相手にされなかったようです。

それにしても頼朝の手が及ばなかったのは幸いでした。

姫の前は義時の正妻となる

北条義時はどうしてもあきらめきれなかったようです。源頼朝に頼み込んで、更には、頼朝に絶対に離縁しませんという起請文まで書いて、頼朝に仲を取り持ってもらいました。
奥州征伐が終了し、鎌倉幕府が順調に運営し始めた建久3年(1192年)頼朝の仲介により義時の正妻となります。
その後建久4年(1193年)次男朝時建久9年(1198年)三男重時を産むことになります。この頃が頼朝存命中ですので鎌倉幕府も安定しており幸せの絶頂期と言えるでしょう。

比企能員の変により義時と離縁することに

ところが、大変なことが起こってしまいます。建仁3年(1203年)北条氏と比企氏の争いである、比企能員の変が起こり、比企氏は夫である義時の軍勢に滅ぼされてしまいます。

その時に姫の前の父である比企朝宗はどうなったのかは記録にありませんが、おそらく滅ぼされたのでしょう。こうなると姫の前もそのままというわけにはいきません。結婚するときは起請文まで書いた義時ですが、離縁することになるのです。

どの様な関係だったかはわかりませんが、姫の前は京の源具親に嫁ぐことになります。源具親は当時歌人として有名で、左兵衛佐、和歌所寄人となっています。

朝時、重時は義時の下に置いたままでしたが、具親の息子輔通、輔時を産んだと言われています、そして3年後には亡くなったと言われています。

息子だった北条朝時、重時はこの問題があった後も鎌倉幕府にあって兄の泰時を支えて仕えています。そういう意味では、鎌倉幕府の初めの頃のような殺伐とした処分ではなくなってきています。

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義時の継室伊賀の方とは

伊賀の方は藤原秀郷につながる伊賀朝光の娘になります。当初は藤原姓で幕府に仕えていたようですが、承元4年(1210年)伊賀守に任じられて以降は伊賀を名のることになります。

比企能員の変以降に北条義時の継室となっています。元久2年(1205年)政村を、承元2年(1205年)実泰を出産します。その後は夫の義時は鎌倉幕府内の権力闘争が始まるわけです。その間を考え方としては支えていたともいえるでしょう。

北条義時の死によって伊賀の方は

貞応3年(1224年)義時がなくなってしまいます。この時に問題が生じてしまいます。伊賀の方の兄の伊賀光宗と伊賀の方が、伊賀の方の実子北条政村の執権就任伊賀の方の娘婿である一条実雅の将軍就任を画策したとされています。

この動きを北条政子が阻止し、北条泰時の執権就任となります。このため、伊賀の方は伊豆に配流兄の伊賀光宗は信濃に配流娘婿の一条実雅は越前に配流となります。これを伊賀氏の変と言われています。

伊賀の方の息子である北条政村、実泰は

しかしながら、この画策の当事者である北条政村は特段の処分もなく、その後第7代の執権になっています。そんなことから、この画策は北条政子の陰謀説もあるくらいです。ただし、実泰は精神を病むことになり、27歳で出家しています。

北条義時の妻は八重だけじゃないのまとめ

鎌倉殿の13人も第21回は「仏の眼差し」という副題がついていますが、どんな展開になるのでしょうか。

前半は奥州藤原氏が滅ぼされることになるのですが、ここらあたりは、が平家の時と同様、簡単に紹介されて終わりになってしまうと推測されます。

その後、頼朝は京に向かいようやく後白河法皇と対面することになるのですが、いろいろな駆け引きはあるでしょうが、たいして話題にはならないような気がします。

そして、今後の展開で北条義時の妻である八重をどのように扱っていくかが興味がわくことになるのです。とにかく夫婦仲は良いし、八重姫は近所の子供の世話などをして極めて充実した生活を送っているわけですから、トラブルが起こる状況にないのです。

しかし、歴史は、この頃から八重が想定されている安房局が姿を消しているので、いよいよ病気かなんかで亡くなってしまうのかなとも想像したりします。新垣ファンには残念ですが果たしてどのように取り扱われるのでしょうか。

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